簡単瞑想 (メディテーション)

インドの思索家 ジッドゥ・クリシュナムルティ Jiddu Krishnamurti(1895-1986)は本の中で次のように書いています。

瞑想は手段であり、同時に目的である。・・・もしも瞑想がなければ、人は光と色の大いなる美の世界にいながら、それが見えない盲人のようなものである。  『クリシュナムルティの瞑想録』(原題『ただ一つの革命』)

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柳生街道の石畳

気持ちのよい瞑想

瞑想(めいそう)と聞くと、よく聞かずに退いてしまう人が少なくないようです。日本では禅寺の伝統があり、禅宗のお坊さんたちがする難しい修行だと考えられているのでしょう。確かに瞑想について解説した本を読むと、実に長々と説明が続いていて、自分には無理だと放り出してしまう人がいても不思議ではありません。でも、ちょっと待ってください。瞑想はそんなに難しいことではありませんし、やってみるととても清々しい気持ちになれるものです。それだけでなく、自分の願望が実現する、病いが消える、など色々と効用もあります。少し立ち止まって見ませんか。

瞑想は普通、坐ってしますが、いわゆる坐禅の姿勢でなくてもかまいません。椅子に腰掛けていてもかまわないし、あぐらでもいいですし、正坐でもよろしい。ただ、あぐらはすぐに背中がまるくなって来やすいので、注意が必要です。そうなると、楽な呼吸ができなくなり、十分に心を緩めることができません。

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達人坐

達人坐という坐り方

私がいつも瞑想の時に使っているのは、次のような坐り方です。まず、畳やカーペット、じゅうたんのうえに腰をおちつけて、片脚のかかとを自分の正中線に持ってきます。左右どちらでもかまいません。会陰部の前に片方のかかとを持ってくるわけです。そうしてもう一方のかかとをさらにその前に持って来ます(上ではありません)。つまり、会陰部の前で左右二つのかかとが順に床の上に並ぶようにします。ただ、からだがどちらかに偏りを作らないように、今回は右を前にしたとしたら、次回は左を前にするというように、左右の均等を心がけるのがよろしい。

これはヨーガ yoga でいう「達人坐」(たつじんざ)という坐り方の変形です。ヨーガでは「シッダ・アーサナ」 siddha asana といいます。ただし、本格的なヨーガのシッダ・アーサナでは、片足の上にもう一方の片足が載る形になりますから、少し違います。しかしわざわざ注釈をつけるのも面倒なので、私はこれを「達人坐」と呼んでいます。

(余談ですが、ヨーガに取り組んでいるほどの人なら、佐保田鶴治さんの『ヨーガ・スートラ』という本を読まれたことがあるかもしれません。たとえ読んでいなくても、書名を見たことはおありでしょう。私は若い頃に、この佐保田先生の指導をしばらく受けたことがありました。佐保田先生はインド哲学の専門家でしたから、インドのサンスクリット語の読み方には厳格でいらっしゃった。かならず「ヨガ」ではなく、「ヨーガ」と発音していらっしゃいました。著書でもそう書いておいでです。)

この坐り方は、たいへん楽ですし、背中がいつまでもぴんとのびていて、前かがみに苦しくなることがありません。ですから、私は皆さんにこの坐り方をお奨めしています。

達人坐で股関節を緩める

ただし、女性の場合は股関節がやや内向きになっている人が多くて、この坐り方をすると、膝が床から上がってしまう人がいます。でも、続けているうちに次第に修正されて、床に近づいてきますから、心配はいりません。股関節の修正になるわけで、一石二鳥です。「達人坐」をしてみて、膝が床につかないで上がってしまう人は、股関節に異常があります。いいかえると股関節が硬くなっています。こんな時は日ごろから「達人坐」をするように心がけて、膝が下におりるように努力してください。もっとも、どうすればおりるようになるか、というのは、瞑想とは別の問題になりますが。