対角連動性

前腕の二本の骨が開いていると様々な影響が出ます。できるだけ締まっている方がよろしい。

hokusai
北斎漫画より

美術館の庭で

別の項目で「対角操法」について書きました。これが効果を上げるのを自分自身のからだで確かめることができました。

先日、大阪・天王寺にある大阪市立美術館に「北斎展」を見に行った時のことです。葛飾北斎(1760-1849)は「北斎漫画」という、まことに興味深いスケッチブックを書いているため、ときどき私は興味を持って眺めています。好きな画家の一人です。

美術館を出て、外の庭園をぶらぶら歩いているうち、斜面を歩いたためか、左足の外くるぶしの下が痛くなってきました。道路でもそうですが、道の端が斜めになっているところを歩きつづけるのは感心できません。足首に偏った負担がかかるからです。

これはまずい、どうしようか。そうそう、この前の「対角操法」というやつをやってみよう ── というわけで、そのあたりの石垣に腰を下ろします。左足の外くるぶしの真逆というと、どこになるだろうか。左足の逆は右手ですね。外くるぶしの逆は手首の親指側のぐりぐりです。ここは橈骨茎状突起(とうこつけいじょうとっき)と呼ぶ場所です。ここに愉気をすることにしました。

しばらくすると、確かに痛みがひいてきます。離すと少し戻った感じ。ではもう少し続けてみよう。そうやっているうちに、痛みは完全に消えてしまいました。

それからしばらくして、今度は左足の小指の付け根あたりが痛くなって来た。おやおや、今日はどうなっているのだろうか。10キロ単位で歩いた時なら、こういうことも珍しくはありませんけれど、ほんの少し歩いただけで、なぜこんなことになるのだろう。「対角操法」についてもっと勉強しなさいという神の思し召しだろうか、と考えつつ、再び同じようなことをやってみます。

左足の小指の真逆となれば、右手の親指ですね。親指の付け根の辺りに愉気をしてみました。言い換えれば、左手の親指のそこに当ててしばらくじっとしていたわけです。これで同じように痛みが消えてしまいました。

hokusai
北斎漫画より

対角操法

これで今日のイベントは終わりだろうと思っていると、今度は右の股関節が痛くなってきました。うーん。股関節が痛いというのは、こういう感覚なのか、などと考えていると、だんだん痛くなってきます。2度あることは3度、と言いますが、まさにその通り、と思いつつ。

真逆にあたる左の肩関節を押える代わりに、手と全身の共鳴の考えで左手の薬指の付け根を押えてはどうだろうか。そうやってみると、この問題もほぼ解決しました。完全に痛みが消えたわけではなくやや違和感が残るものの、歩いて苦痛を感じることがない程度になりました。

というわけで、この操法に確かに効果がありました。真逆の点を押えるのが無理な時は、共鳴の考え方で対応する点を押えても効くことが分かりました。この操法を何と呼べばいいか。前回は「対角線操法」と書きました。しかしどうやら「対角線操法」という操法が昔からあって、それは少し違った操法であるようです。

ですから、ここでは区別して「対角操法」と呼んでおくことにします。この対角操法にはなぜ効果があるのでしょうか。本当のところはよく分からないというのが正直なところですけれど、少し考えてみたい。

hokusai
北斎漫画「かっぱ」

対角連動性

どこかに愉気をしてあげていると、愉気をしている場所とは離れたところが痛くなってくる、と言う人がいらっしゃいます。珍しいことではなく、時々そういう人がいる。痛くなるまで行かなくても、どこかに響くとおっしゃる方は多い。

これは、あるポイントに愉気をすると全身のバランスが変ってきて、どこかに負担のかかるところが出てくるわけでしょう。でも、しばらく愉気を続けているうちにそういう痛みは消えてしまいます。痛くなって来た人は心配になってくるでしょうから「すぐに消えますから、心配ありません」と言ってあげていいと思います。

そんな具合にどこかのバランスが変ると、それに伴って変化する場所がある。人体のバランスといえば「左右バランス」を考える人が多いと思いますが、「上下バランス」というものも考える必要があります。脚と腕のバランス、肩関節と股関節のバランスなどです。もともとヒトは四足歩行の動物でしたから、左右のバランスとともに、上下のバランスも絶妙にとっていたはずでしょう(四足歩行なら「前後バランス」というべきでしょうか)。

上下バランスと左右バランスの両方をとるとなると、真逆のポイントに来ることになって不思議ではない。右手と左足とが連動しているというような、身体の上下・左右の連動性が色々ありそうです。

まとめて「対角連動性」とでも呼んでおけばいいでしょう。どこかの関節に問題があれば、それと対角にあたる関節も連動している。こんな見方をする習慣をつけておけば、きっと観察時の参考になることでしょう。

( 2012. 12 初出 )